私が席を譲れるようになった理由
流山でタブレットを使ってプログラミング!
「どうぞ」
そう言って今日は山手線の電車でお婆さんに席を譲り、良い気分でその後過ごす事ができました。
気分が良いと、自然と顔を上げることができますね✨
できる人にとっては、これは特別なことでも何でもないし、譲らない方がおかしい!と憤りを感じる人だっているでしょう。
だけど、私は数年前まで譲ることはできなかったのです。
心の中では、譲らなきゃ!と思ってます。
頭では、譲るべきだと分かってます。
でも、気恥ずかしさや人見知り、変な顔されたらどうしようという恐怖心などから声をかけられず、後ろめたさに俯くか、黙って席を立ってその場を離れるのが精一杯でした。
それでも、遠くからその人が座った事を確認し、「席を譲れた」と勝手に認識してホッとしたものです。
今考えると、逆に失礼な行為だったかも知れないですが・・・(悲)
電車やバスに乗る機会が少なかった
大学入学するまで、群馬で育った私は殆ど電車やバスといった公共交通機関に乗ることがありませんでした。
一家に一台、ではなく一人に一台ある車。移動はほぼ自転車か親の運転する車です。
そのため、「席を譲る」というのは、テレビや本の中の世界のことであり、私の世界とは関係なかったのです。
席を譲る行為・好意が日常になる
大学2年で都内へ引越し、毎日電車に乗るようになりました。
大学を卒業し、都内で働く間も、毎日電車に乗ります。
妊娠し、お腹の大きくなった友人と電車に乗る機会もありました。
マタニティマークが普及したことにより、妊婦さんだと分かる方を見かけることも多くなりました。
私が妊娠している間も通勤や検診で電車に乗ります。
時にはバスにだって乗ることもあります。
毎日のように乗っていると、席を譲る場面によく遭遇するようになりました。
自分がうまく譲れないので、譲るところってついつい見ちゃうのですよ。どんな風に譲ってるんだろう?
とても気持ちの良い笑顔と声かけで譲る人がいると、私はただの傍観者であり何もしていないのに嬉しい気持ちになりました。
こんなふうにできたらイイナ・・・
たまにぶっきらぼうに席を譲っている男子高生とかも、可愛いなーなんて思ったり。
たくさんの場面を見ることで、席を譲るということが私の中でも「特別なこと」から「普通のこと」へ変わっていき、
それとともに実行するためのハードルも下がっていきました。
何かを身に付けたいなら、それができる集団に身を置くと効果的
今はインターネットもありますし、何をするにも何を調べるにも何を勉強するにも、インターネットで済ませてしまえるかもしれません。
それでも、教室に通う意義はあると思うのです。そう信じています。
流山市のキッズプログラミング教室かがやきです。
HP作成、ひと段落! ・・・ということにします。
https://techforkagayaki.jimdo.com/
よろしくお願いいたします。